糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

04月23日の「今日のダーリン」

・じぶんの頭で考えることは、ほんとうにいいことです。
 それはよく言われることなのですが、
 なんどでも言ったり言われたりしたほうがいいことです。

 じぶんの頭で考える機会は、どんどん減っていきます。
 それは、世の中が過剰に「親切っぽく」なったから、
 だけではなく、じぶんの頭で考えないほうが、
 ものごとがスムーズに進むからかもしれません。
 じぶんの頭で考えるのには、
 考えないよりもちょっと余計に時間が必要になります。
 それから、失敗の原因がじぶんになったりもします。

 だけど、じぶんの頭で考えることはいいことです。
 (いや、よくよく煎じつめていくと、
 じぶんの頭で考えるのはいいことでないかもしれない。
 たとえば、春にいっせいに咲く桜は、
 じぶんの頭で考えてるわけじゃないですものね。
 そっちのほうがいいことなのかもしれませんよ。)
 ただ、ぼくがじぶんの頭で考えたところでは、
 人は、せっかく「じぶん」として生きているのだから、
 その「じぶん」であることを続けて生きたほうが、
 おたがいの「じぶん」を眺めあったり、
 助けあったり、組み合わせあったりして、
 「同じじゃないこと」が増えると思うんです。
 で、そっちのほうが気持ちいいのではないかと、
 そんなふうに思えるんです。

 まだ「生活のたのしみ展」の余韻が響いているのですが、
 乗組員たちと、アルバイトの皆さんが、
 たいへんだったけどおもしろかったと笑っていたのは、
 じぶんの頭で考えることが、たくさんあったからです。
 そうでないと、ものごとが回らなくなる構造でしたし、
 じぶんの頭で考えてなにかすることのおもしろさを、
 参加したみんなが大好きだったからでしょう。

 みんなの意見とそっくりだからとか、
 多数の人たちと同じように見える考えだからといって、
 じぶんの頭で考えてないわけじゃありませんよ。
 借り物のまんまの少数意見だっていくらでもあるしね。
 そこらへんが、また、おもしろいところです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんの頭で考えることは、「勇気」に似たものなのかも。